2010年7月1日木曜日

圓祥山 大安寺

大安寺がある大畑は本州最北端の下北半島の北部中央に位置し、津軽海峡に面します。
明治初年の『新選陸奥国誌』によれば「本町は東西長三丁(約300メートル)十五間、本町の中程役所前の小路より少し西の方、南に折れて大安寺に至る小路あり」と記されています。
同誌によりば大畑は「西南の方大山量畳し、東北は北海に臨み、風嵐烈しく、五穀宜く熟せず、余産を以って生活す」とあり、この風土は古来変わることはなかったといいます。

飛騨屋(武川)一族の墓
飛騨屋の初代武川久兵衛(たけかわきゅうべえ=代々の当主は久兵衛を名乗る)は延宝2年(1674)、飛騨国(岐阜県)益田部に生れ、27歳の時に材木商となり大畑に飛騨屋を創業した。4代100年にわたり栄え、前期資本主義的経営を行い、蝦夷地開発も手掛け、後の伊能忠敬らの探検、開発の指針となり、明治の北海道開拓に続けた。

菊池九江一族の墓
菊池家は代々南部藩士で九江(政起)は明治の初期、頼山陽とも称され、書家・画家として活躍し、『桂林一枝嚶々集』を発刊。

村林鬼工一族の墓
二代目源助は号を鬼工と称し、大畑の宿老、検断も務め、菅江真澄と交友関係にあった。古学派の巨匠荻生徂徠に傾倒、天体観測も行う。

圓祥山 大安寺
青森県むつ市大畑町

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