2010年7月13日火曜日

糠塚 福聚山 大慈寺

糠塚大慈寺は天保年間の初めの頃現在の地に建てられ、本寺を松館から糠塚へ移しました。松館大慈寺は檀家の関係もあり、末寺としてそのまま残すことにしました。祖院とも考えられる松館と、糠塚の両大慈寺が同じ名前のまま独立し、正式に本寺と末寺になったのは、明治21年のことでした。
棟札に現在の山門(八戸市文化財)が完成したのは天保2年(1831)4月と書きしるされています。

大沢多門(おおさわたもん)
生没年:1834〜1906
・八戸糠塚生まれ。 えんぶりの復活、三社大祭の振興など八戸の観光産業の礎を築いた。

蛇口伴蔵(へびぐちばんぞう)
生没年:1810〜1866
・江戸時代の八戸藩士で八戸地方の水利開発に尽力した。

太田広城(おおたひろき)
生没年:1838〜1911
・階上町出身。 1871年の八戸県大参事。 五県(弘前、黒石、斗南、七戸、八戸)の合併を政府に建議、今の青森県の枠組みをつくった。

野村軍記(のむらぐんき)
生没年:1774~1834
・八戸藩士。新羅神社を改築し、敬神の道を教え、馬場を設け、騎射打毬の術を指導した。「八戸のことは良きも悪しきも軍記さま」といわれるほど八戸のために力を尽くした。

糠塚 福聚山 大慈寺
青森県八戸市長者http://e-tera.jp/oterasan/aomori/11-hachinohe/02-daijiji.html

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